ウッドストック

1969年に行われたウッドストック。
愛と平和の祭典、という名目ではあったが初の大規模な野外コンサートだったため、現代の観点で捉えれば実際にはそれほど心地良いものではなく、犯罪やドラッグ、盗難や破壊などが会場内にはびこっていたという現実もあった。
規模と観客数の膨大さに比べ、驚くほど暴力事件は少なかったとはいえ、トラクターによる事故とドラッグの過剰摂取により2名が死亡した様だ。
ロックにリスクは付き物だ。
今の野外フェスとは全く違った部分がまた、魅力にもなっていたのだろう。

サバスにギランが入った理由

ブラックサバスの歴史の中で、VOの担う役割は非常に大きい。
オジーのイメージが浸透している中、ビッグネームとうまさでロニージェイムスディオが入り、うまく切り抜けた。
そのロニー脱退後、元パープルのイアンギランが入るのだが、歴史的に見ても凄い事だと思う。
そのギラン加入の理由が、彼が経営していたホテルが火事になり、急きょ金が必要になったというのが一番大きいそうだ。
そうして造られたBORN AGEINは、サバスの中でも最も問題作となっている。
輝きがなかったのだ。

レオンラッセルの意外

十代の頃からキーボーディストとして活動を始め、同郷のデヴィッド・ゲイツ等とバンドを組む。
以降、ジェリー・リー・ルイス、ローリング・ストーンズら多くのアーティスト、フィル・スペクターのプロデュース作品のレコーディングに参加している。
意外にも、ザ・ベンチャーズのレコーディングに参加している。
「十番街の殺人」のサックスソロ、「朝日のあたる家」等で聴く事が出来るオルガンソロは、彼が弾いたものである。
後にザ・ベンチャーズのリードギタリスト、ノーキー・エドワーズがソロアルバム「Nokie!」をリリースした際にはライナーノーツを執筆、ノーキーやベンチャーズの音楽性の素晴らしさを力説している。
レオンラッセルとベンチャーズ。
インストと歌ものの大御所がそこまでマッチングしていたとは、驚きの事実だ。

プリースト

ジューダスプリーストは、ヴォーカルのロブ・ハルフォードの広い音域を生かした歌唱と グレン・ティプトンとK. K. ダウニングのツインリードギターが特徴。
初期の頃はハードロックとして抒情的なアプローチを旨としたが、70年代末よりそうした湿り気を捨て硬質かつ純化されたヘヴィメタルというアプローチを主流としていく。
1980年の『ブリティッシュ・スティール』において硬く乾いたリフと「泣き」を刈り込んだ攻撃的なギターソロという「メタル・ゴッド」としてのアイデンティティを確立、80年代の終りまで大きな存在感を放った。
また80年代における音数の極端な簡素化やギターシンセサイザーの導入、またリッパー・オーウェンズ在籍時のモダンなメタルへの接近など、大御所らしからぬ音楽性の模索の激しさ、いわゆる「問題作」の多さに定評がある。

ミューズ

ミューズは1990年代初頭、イングランド南西部の「音楽以外に楽しめるものが何もなかった」という田舎町、ティンマスで結成される。
メンバーはマシュー・ベラミー、クリス・ウォルステンホルム、ドミニク・ハワードの3人。
それまで彼らは同じ学校に通いながら別々に活動していたが、ドミニクのバンドにマシューがギタリストとして加入し、後にクリスが参加した。
結成当初は「Gothic Plague」と名乗り、現在とは大きく異なるファンク系のロックをやっていたという。
その後ゴシック/グラム的要素を含んだ音楽性に変更し、1994年に「Rocket Baby Dolls」と改名。
地元のバンドコンテストで優勝したことがきっかけでプロを目指すことを決意。
同時にティンマスを離れ、バンド名も「ミューズ」に改めた。
以後数年はロンドンやマンチェスターでライヴ活動を行う。
1998年、マネジメント企業に誘われて行ったニューヨークとロサンゼルスでの小さなギグが契機となり大手のレーベルと契約を締結。
2枚のEPを出した後、1999年にジョン・レッキーのプロデュースでデビュー・アルバム『ショウビズ』を制作。
作風の類似性からレッキーが過去に手がけたレディオヘッドと比較される一方で、全英アルバムチャートで29位を記録。
NMEアワーズの新人賞を受賞した。

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